~友情は1400年の彼方から~ 古代東アジアの国際交流を雅やかに再現した大阪のお祭り
FAQs

王仁(わに)博士の渡来

倭国・百済の友好関係の中、多くの人々が倭国を訪れました。その中でも有名な王仁博士の渡来です。 「また百済国にも『もし賢し人あらば』とおおせたまひき。故、命を受ける人、名は和邇吉師(わにきし)。 すなわち論語十巻、千字文一 …

聖徳太子の衣装

聖徳太子の服装は一万円札の姿と思われていますが、これは太子没後百年以上後に描かれたもので、太子の時代には、あのような冠、笏(しやく、手に持った長い板)、メタルで飾ったバンドがありませんでした。 そこで、「四天王寺ワッソ」 …

古代人はどんな挨拶をしていたの?

四天王寺ワッソの大巡行に登場する人物と日本側出迎えの人物が交流する際、当然挨拶がかわされます。 この挨拶は「両段再拝(りょうだんさいはい)」というものです。 皆さんが神社にお参りをする時、両手を2度叩いて手を合わす形式、 …

舟だんじりってなに?

古代の人々が使用した舟の歴史にはまだまだ研究を待たなければいけない部分も多いのですが、 基本的には、 木をくりぬいた「丸木舟」 その上に構造物を取り付けた「準構造船」 まったく個々の部品から組み上げた「構造船」 と順番に …

聖徳太子の衣装が違う?

四天王寺ワッソの中心人物として登場する聖徳太子。 良く見ると何だかイメージが違います。 一般的聖徳太子像というと、ゆったりした服装で、両手でなにやら小さな板のようなものをもっている。というイメージでしょう。 ところが四天 …

どんな経緯で始まったの?

国際化時代の進展と関西・大阪の活性化。 この二つは地元の企業家・市民にとって重大な問題である。と考える有志が自然と集まりました。 しかし、どうやってこの二つを実現していくかとなると中々異論百出です。 例えば「東アジア交流 …

大阪で行う意味はあるの?

日本では東京を中心に欧米に対する国際交流ばかりが先行している感があります。 ところが、関西・大阪の歴史を振り返れば、かつての「なにわの津」「四天王寺」などでは、素晴らしい国際化時代を経験していた事実があります。 そして、 …

古代の国際交流はどんな風だったの?

古代は当然今のような情報化社会ではありません。 ですから余計に人と人の交流が(今より?)活 発だった訳です。 考えてみれば古代にはパスポートもビザも有りませんし、国境だってかなり曖昧なものでしたから、人々の移動を制限する …

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