イベント名:第14回 枚方・百済フェスティバル
  日 時:5月10日(土)10:00~16:30
  場 所:ひらかた岡東中央公園 枚方市役所本館北側
      特別史跡 百済寺跡公園
  主 催:枚方・百済フェスティバル実行委員会・百済の会・
      枚方市教育委員会・枚方文化観光協会

古代日韓交流の歴史を伝える「第 14 回枚方・百済フェスティバル」が5月 10 日(土)、枚方市役所前の岡東中央公園(枚方市岡東町)で開催され、衣装や旗の貸出しを行いました。

 

枚方・百済フェスティバル

“古代枚方をあそびませんか?”を合言葉に、枚方市内にある国の特別史跡「百済寺跡」を広く知ってもらおうと平成 13 年から行われているもので、韓国舞踊や日本民謡などステージイベントのほか、日韓の食文化を楽しめる模擬店、発掘資料の展示コーナーなどが並ぶ賑やかなお祭りです。

市民グループ「百済の会」と枚方市教育委員会、枚方文化観光協会でつくる同フェスティバル実行委員会が主催しています。(枚方市プレスリリースより一部抜粋)

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会場が市民で賑わい始めるなか、百済王神社ではパレードの安全とフェスティバルの成功祈願が行われていました。

 

チャングパレード

古代朝鮮半島の王族を古代日本の天皇が迎える様子を再現したパレードには、朝鮮半島の代表的な打楽器「チャング」をにぎやかに演奏する“チャング隊”など民族衣装を身にまとった市民ら約 70 人が参加し、百済寺跡に隣接する百済王神社(中宮西之町)から会場の岡東中央公園まで約2㎞を練り歩きました。

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商店街や街道沿いでは、足を止めて写真を撮る方やケーブルテレビの撮影が入るなど人々の注目を集めていました。パレードの最後にはセレモニーが行われ、枚方市長からの祝辞が読まれました。

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百済王 敬福(きょうふく)

2014年の四天王寺ワッソにも登場予定の百済王敬福とは、どのような人物なのでしょうか?

敬福は、百済最後の王である義慈(ぎじ)王の子孫であり、善光(ぜんこう)を始祖とする百済王(くだらのこにきし)の氏姓を持統朝より賜与された日本の氏族の一員です。

その昔、百済最後の国王であった義慈王は倭国と同盟しその王子豊璋(ほうしょう)王と善光王を倭国に献上しました。660年百済は唐の進攻によって滅び、百済王室は唐の都に連行されます。百済復興のため倭国から朝鮮半島に戻った豊璋王も白村江の戦いに敗れ、高句麗に亡命するもやがて唐に捕らえられ流刑となりました。そのため、日本に残った善光王が百済王族の血統を伝えることとなったといわれており、その子孫が敬福なのです。

743年(天平15年)に陸奥守に昇進した敬福。当時、聖武天皇は東大寺大仏の建立を進めていましたが、巨大な仏像に塗金するための黄金不足が深刻な問題となっていました。遣唐使を派遣して調達することも検討されるほどで、全国にも黄金探索の指令が出されていましたが、これまで日本では黄金を産出したことがなく苦しい状況にありました。
しかし、749年(天平21年/天平感宝元年/天平勝宝元年)に敬福から平城京に対して陸奥国で産出した黄金900両が貢上され、敬福は東大寺大仏の建立に大きく貢献しました。

聖武(しょうむ)天皇は大変に喜んで光明皇后、皇太子(阿倍内親王、後の孝謙天皇)以下を伴い、東大寺大仏に詣でてこのことを報告し、年号も天平から天平(てんぴょう)感宝(かんぽう)と改めるなど、国家的な慶事として大々的に祝われ、敬福はこの功績により従五位下から8階級特進して従三位に昇進し、高級貴族の仲間入りを果たした。

歌人・大伴家持は次のように黄金産出を寿いでおり、「万葉集」にも集録されています。
すめろぎの御世栄えんと東なる みちのく山に黄金花咲く
<須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知(乃)久夜麻尓 金花佐久 – 『萬葉集』巻18 4097>

百済王氏の本拠地は当初難波にありましたが、その後北河内交野郡中宮郷(現・大阪府枚方市中宮)に本拠を移しこの地に百済王の祀廟と百済寺を建立したと云われています。百済寺は中世に焼失しましたが、百済王神社は今も大阪府枚方市に残っており、今回の枚方・百済フェスティバルで行われたチャングパレードの出発場所となっていました。