
応仁天皇の時代の5世紀、百済の王子・阿智主人が渡来し、渡来人東漢氏の祖先となり、
天智天皇の時代、欽明天皇陵の堤で柱立の競いに勝ち坂上姓となる。
壬申の乱で将軍国麻呂が台頭し、藤原仲麻呂乱の鎮圧で刈田麻呂が功をあげるなど
軍事的名門貴族となる。
坂上田村麻呂は刈田麻呂の子として頭角を現わす。
その後征夷大将軍となった田村麻呂は、死後も平安京を守護するため、
金の鎧姿で東向に埋葬された。『日本後記』には、山城国宇治郡に大納言従二位坂上田村麻呂を
葬るとあり、京都市山科区勧修寺東栗栖野の別名花木塚をあてる。
明治28年、平安遷都千百年を記念して整備され、現状は直径20m、高さ1.5mの円墳である。
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