猪熊先生と渡来人の足跡を訪ねて奈良県大和・桜井方面へバスで巡ります。
こちらの募集は終了いたしました。

 

日   時 : 4月11日(日) 8:45(時間厳守) 雨天決行
集合場所 : 大阪市北区(決まり次第お知らせ致します。)
申込方法 : MAIL(info@waso.net) 又はTEL(06−6371−8703)
定   員 : 40名程度
参 加 費 : 正会員3000円、一般5000円(拝観料、資料代、昼食代含)
ル ー ト : 花山古墳→赤坂天王山古墳→飛鳥寺→板蓋宮跡→亀形石造物→桧隈寺跡
        →観覚寺遺跡

 

マップ
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※参加人数や天候により内容を変更する場合があります。
現在すでに申し込みが来ております。定員になり次第受付終了となりますので
お早めにご応募ください。

 

桜井市と宇陀の境界、女寄峠近くの標高約400mの尾根に位置する。奥に棺と設置するための石槨を設けた石棺式石室の形態をもつ。奥室の扉石は、ドア状に閉めることができるようになっている。石材は、榛原石をレンガ状に積み上げており、漆喰が塗られている。
韓国公州の武寧王陵を代表とする宋山里古墳群も、こうしたせん積式石室で花山古墳の被葬者も渡来人説が強い。
 

百済から伝播し巨石化された横穴式石室の古墳である。遺物は無いが、石室や石棺の形式などから築造時期は6世紀末と見られている。日本書紀によると、崇峻天皇は暗殺された後に倉橋の地に葬られたと記されており、この地域で造られた古墳で該当するものは赤坂天王山古墳以外には見あたらないため、同古墳が崇峻天皇陵として有力視されている。
 
飛鳥寺(法興寺)は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、明日香村豊浦の豊浦寺(尼寺。現在の向原寺がその後身)と並び日本最古の本格的仏教寺院である。この寺院の主要仏堂の配置(伽藍)は、塔を中心に北・東・西に金堂があった。蘇我馬子の建立になるが、造寺には、百済の技術者によるプロジェクトチームが来日した。こうした伽藍配置は、高句麗清岩里(せいがんり)廃寺がモデルであると考えられていたが、近年百済や新羅でもこのタイプの寺院跡を発見している。
 

板蓋宮は、645年6月12日に発生したクーデター(乙巳の変)の舞台となった。この日、皇極天皇の眼前で蘇我入鹿が刺殺されるという凶行がなされ、軽皇子(かるのみこ)が即位することとなった(孝徳天皇)。孝徳天皇は、難波長柄豊碕(なにわのながらのとよさき)に宮を置いた。 11月7日のワッソの舞台はこの大極殿跡である。
 
推古10年、勧勒(かんろく)が天文図・遁甲(とんこう)術を伝える。この遺跡はそうした水占いの遺跡である。花崗岩で作られており全長約2.4m、幅約2mで頭や尻尾、足が造形されている。甲羅部分が直径1.25m、深さ20cmくりぬかれ、鉢状になっている。頭の部分の穴から水が流れ込み尻尾の穴から流れ出したと見られる。尻尾に栓をすることで水を溜めることもできる。
斉明天皇は百済支援のため九州朝倉宮へ移り、中大兄皇子や鎌足の指揮のもと、白村江へ出兵するが、この戦勝の占いなどもこの亀形石で催されたと思うと夢はふくらむ。
 

応神20年、百済王子阿智使主(あちのおみ)が多くの人々を伴い、現在の明日香村、高取町との境にある桧前(ひのくま)の地に居留する。『日本書紀』に登場する「桧隈」は、この集落を中心とする地域と考えられ、その後渡来人の居留拠点となり、桧前寺(桧隈寺)が建立された。阿智使王は多くの渡来人の祖先としてあがめられ、平安時代の日本式神社の祭神となった。
 
古代の渡来系豪族・東漢氏(やまとのあやうじ)の拠点集落だったとされる。国内最古の石組みの人工池跡(6世紀)が出土した。東西約5メートル、南北約4メートル、深さ約40センチの方形で、石組方形池跡(約42メートル四方)の原形とみられている。こうした石組方形園池は韓国扶余の遺跡にあり、百済式石組池の影響を受けている。
池の岸や縁は人頭大の石で組まれ、底にも石が敷かれていた。近くからは朝鮮半島にみられる暖房施設「オンドル」を備えた建物跡なども出土し、煮炊きなど生活に使う水をためる池だったとみられている。