六月十四日(土)、
四天王寺ワッソの登場人物・秦河勝(はたのかわかつ)に因み、秦氏ゆかりの地を歩く「歴史探訪・京都太秦」を実施した。
四天王寺ワッソ実行委員長・猪熊兼勝先生(京都橘大学名誉教授)解説のもとに会員を中心に30名が参加した。

 

最初に向かった史跡蛇塚(へびづか)古墳は、古墳時代後期の7世紀ごろ築造されたと考えられる前方後円墳である。石室の部分だけを残して周囲には住宅が建てられているが、住宅街の輪郭には今も前方後円墳の形を残す。秦氏一族の墓ではないかとも言われている。特別に内部を見学、大きな石が積み上げられた空間は、ひんやりとして30人が入ってもゆったりしている。玄室の大きさは全国第4位である。石の間からさまざまな木や草が茂り、時の流れを感じる。
 
木嶋(このしま)神社のなかには、織物の祖神を祀る蚕養(こかい)神社があり、別名を蚕の社(かいこのやしろ)という。養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏が治めていた地に相応しい。本殿の西側の元糺の池(もとただすのいけ)の奥、木々に囲まれてひっそりと石製の三柱鳥居が建つ。三方正面、どの方向から見ても鳥居の形をしている。この日、元糺の池底の石畳に水がなかったが、禊が行われるという。
 
大酒(おおさけ)神社は、秦始皇帝、弓月君、秦酒公(はたのさけぎみ)を祀り、伝酒公の墓と言われている。今は道路を挟んだ三角形の地形にあるが、もともとは広隆寺のなかにあった。

延喜式の本殿(大酒神社)
 
最後は国宝弥勒菩薩半跏思惟像を所蔵する広隆寺を参拝。日本書紀では、秦河勝が聖徳太子より賜った仏像をご本尊として祀るため建立した寺とある。秦河勝の本名広隆を寺名にしたと言われ、別名、秦公寺、太秦寺などとも呼ばれる。本堂は本尊として聖徳太子を祀る。薄暗い霊宝殿には、二十点にも及ぶ国宝に並んで、重要文化財の秦河勝像・同夫人像が安置される。

重要文化財の講堂(赤堂)阿弥陀如来像を覗き込む
参加者一同は、熱心に解説に耳を傾け、弥勒菩薩の神秘的な微笑みに包まれ、京都散策を堪能した。